iBS外語学院40周年記念実行委員会

「水辺のアルバム」

山田太一脚本のドラマ「岸辺のアルバム」が放送されたのは1977年。首都圏住まいの編集委員が台風で氾濫する多摩川を見ながら、ふと思い出したのはこの人。フライロッドを片手に、この人は水辺で何を思うのか。自然と生きる趣味人としての「英語論」。

Words: 伊集院 “Morgan” 一智

静寂と朝靄の中に、うっすらと浮かぶシルエットで釣り人であることは間違いなかった。ビーバーキルリバーとウィローモックリバーの合流点である通称「ジャンクションプール」に、その釣り人は座っていた。

少し肌寒い風が、朝靄を動かし、景色をクリアーにした。見ると、どうやらバケツに座り、長めの竿で座ったままルアーをキャストしているようだ。

すると「バシャ!」っと、違う方向で魚の跳ねる音がする。慌てて目をやると大きな波紋が水面に広がっている。

「おおっ!良いサイズ!あんなのが釣れたらいいのに!」

ふと視線を釣り人に戻すと、釣り人の竿が少し曲がっているのに気がついた。少し慌ててリールを巻いているのが、ここからもよく見える。あまり大きくないかな? よし、ちょっと見に行ってみるか? 私は、友人を起こさぬよう、静かにドアを開け、ジャンクションプールを目指して小走りに駆け出した。しばらくして、川岸の薮をかき分けると、その場所についた。あれ?だれもいない?どこ行った?さっきまでいたのに・・・。目の前の砂地にはバケツの丸い跡が残っていた。「バタン」ドアの閉まる音が薮の向こう側から聞こえる。私は、また薮をかき分け道に出る。

すると、目の前には、熊に出くわしたみたいに、腰を抜かさんばかりにビックリしたような顔で私をみつめる80代のお爺さん。引きつりつつも出来るだけの笑顔で、「釣りはどうでした?」「魚は大きかった?」「ブラウン?それともレインボートラウト?どっちでした?」私の質問に、爺さんは、みてみろと言わんばかりにバケツを指差した。ボロボロのピックアップトラックの荷台に置かれたバケツには、40cmぐらいのレインボーが入っていた。「いまから朝飯にするんだ。ワイフと二人だから、これで充分さ!」そう言って爺さんは笑った。笑うと欠けた歯で、なんとも愛嬌のある笑顔である。

爺さんのボロボロのオーバーオールは、ところどころ違う生地で補修されていた。くしゃくしゃの汚れたヤンキースのキャップは、至る方向に延びたヒゲと相まって、いい味を出している。Tシャツの腕からはヤンキースのタトゥが見えていた。“ここはニューヨークだ、まさにアメリカらしい!”“おばあさんと仲良さそうだな?”少しの想像を楽しみながら「いい魚だね!よい朝食を!サンキュー!」と言った。すると「だろ!毎日ここにきてるんだけど、今日は釣れてラッキーだよ!」そう言って、爺さんは、またガハハと笑った。いい笑顔だ!たわいもない会話だけど、その時間は楽しかった。人と人とのコミュニケーション。それがここにはあるような気がした。

次の日も、そしてまた次の日の朝も、爺さんは川に座って釣りをしていた。

私の旅の最終日の朝、残念なことに、爺さんの姿はなかった。「どうしたのかな?何かあったのだろうか?」いろいろな妄想が頭をよぎる。「元気だといいんだけど!いや、きっと、鱒料理に飽きただけだろう?」「教会にでも行ったか?」何故かそう思うことで安心したことを覚えている。これは、フライフィッシングの聖地、キャッツキルを初めて訪れた時のたわいもないエピソードである。

しかし、釣りという共通の話題を通じて、会話の楽しさを初めて海外で味わった瞬間であった。自分の中では頑張って話したにも関わらず、意外とゆるく、まったりとした力まない時間の流れがそこにはあった。きっと爺さんの笑顔がその時間を作ったのだろう。毎日の当たり前は時に変化して、特別となり、次の日常に落ち着く。この似たような日常が人生を組み立てていくのだが、どのような状況であっても明日は来る。今日と同じ明日はない。そう思うことは、あたり前のことだが、シンプルにその瞬間を感じることも出来る。リキんで生き急ぐ必要もなければ、流されるままを非難される必要もない。

最近、今までの経験から少しの特別を作る勇気と少しの冒険が日常をより楽しくすると感じてきた。日本人は言わなくても察してほしいと言う以心伝心文化。しかしグローバルな昨今では、そうも言ってはいれない。コミュニケーション能力が大切な時代と言われている。私は、本来、コミュニケーションは能力と言うよりも、人の楽しみだと思っている。

なんでも良い、興味を持ち、知りたいと思ったら、ちょっと話しかけてみる。相手との会話で得られた知識と笑顔は、また次の会話に役立つ。相手にしっかりと伝え、人を笑顔に出来る会話は、いい出逢いへと繋がっていく。アメリカの川に立つと、何故かあの爺さんの笑顔を思い出す。静かな川面を見ながら、時に魚との真剣勝負を楽しみ、時に妄想にふける。有るようでないような日常は、知る、得る、学ぶ欲望とエゴも含め、求め続ける楽しさが活力となり、日常でない特別を作る。ボロボロでもいい、オーバーオールの似合うあの爺さんのように、楽しく純粋な笑顔を持てる人でありたい。

まだまだ青春真っ只中。時につらく折れそうになる時もあるが、これからも楽しい人生にすべく、ちょっとした笑顔の行方を楽しみたい。笑う門には福来る?

Kazutomo “Morgan” Ijuin:29期卒

1966年生まれ。会社員を辞めて、iBS外語学院に入学。その後、Ijuin-Rodを設立。全てのロッドを手作りで送り出し、世界中の釣人より高い評価を得る。2016年には世界のグラスロッドメーカー16選に選ばれる。近年はクラフトビールの醸造に情熱を注ぐ。

Ijuin-Rod: http://ijuin-rod.com/

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