iBS外語学院40周年記念実行委員会

「街おこしは、人おこし」

“地域を変えるのは「よそ者」「若者」「ばか者」なんだよねー。” そう言い放ったのは、元国会議員の田中康夫。強烈な「康夫節」に面食らったエディターは、ふとこの人の事を思い出しました。 「よそ者」で「若者」で、ついでに「ばか者」のこの人。アカツカさん流の街おこしを、ちょっと覗いてみたくなりました。

Words: 赤塚 "Eagle" 隼人

街おこし……そーだなー。何より祭りが好きで、街に活気がある。ただそれだけなんだけど、私の生まれ故郷は大阪府堺市。毎年9月、10月になるとだんじりが町中を走り回る、そんなだんじりを追いかけ続けた毎日が今でも心に残ってる。

その後、鹿児島県日置郡東市来町の温泉の街に家族と共に引越して来たわけなんですが……あれ、ウチの家庭は元来、放置教育なんです。放置されるから好き勝手やるわけじゃないですか。だから僕は自然と街の人が育ててくれたんです。

その恩を返したいと、留学後強く思うようになったのが街おこしのきっかけかな?と、カッコよく言っても他の人と比べて、少し地域に入り込んだ事やってるだけの話です。

今思えば猛反省と残念な気持ちの行ったりきたり。それは、街おこしするぞーっと思えば思う程、自分の首を締める事となる。それは約10年程前から街おこしに関わりを持ち始めた頃。海外留学と日本国内の旅を終えた私は、根拠のない自信みたいなのが満々で街おこしに取り組み始めました。いやあ、若かったです。

取り組むのはいいんですけど、全然イメージした事が形にならない。自分の実力の無さだけで形にならない、ふむふむ。それだけなら力を付けるだけだと思い実費で県外の活動の応援や勉強に多く時間を割いていきました。

その反面、違うフィールドではこんな小さな街の中で地域リーダーの権力争い。まるで、TVでよくみる国会の争い事が目の前にある街でも起きているわけです。なんて残念な事!そう、既存の組織内で街おこしをしようと思えば思う程、他に力を剥ぎ取られてしまう。

そう考えると、地方議員の方々はそのバランスを上手に取りながら街おこしを進めているのはすごいと思うし、私には無理だ。また、地域の住民の中から街おこしコメンテーターなる人も現れ始める始末。

人間って不思議で、そんな中で活動すると自分自身までコメンテーター化して来るのだ。評価と愚痴り合いである。そこでふと学院長の「コモンセンス」の話を思い出した事もあった。その籠に入るとその世界でしか生きられないんだよなーって。

何かがおかしいと思い私は一度、街おこしの組織から一度離れる事にした。

その時気づいた事は、街おこしをするぞと思えば思う程にプレッシャーと結果に左右され、挙げ句の果てには権力争いの巻き添いになる。

結論、好きな事や得意な事に力を発揮し、発揮した事が自然と街の発展やこの世界の為に繋がればと言う発想に辿り着く事となる。自分の為に動いた事が街の為に自然となる。これなら誰にも邪魔されないし伸び伸びと動ける。

その発想から生まれた活動が、今取り組んでいる竹林整備事業だ。豆知識として鹿児島県は竹林保有率、全国2位。1位は福岡県。これは1位で無くても良い気がするけど。ところで、話はそれたけど主な活動場所は、日置市美山地区がフィールド。美山地区全体は竹に覆われている薩摩焼発祥の地で、毎年多くの陶芸愛好家や県内でも有数の観光地。

その美山地区で生計をたてている同じ志を持っている仲間達と、荒れ果てた竹林を今まで5年程前から整備してきた。これが私が取り組んでいる街おこし。「荒れ果てた街に人はこない」「綺麗な街こそ人が訪れたい」この2つを合言葉に。

整備された竹林

この竹林整備をきっかけに我々は「街にとって何が大事か」「これからの時代は何が必要とされるか」を常に考えさせられてきた。その答えが原点回帰。

原点回帰する事で以下の動きが生み出され、結果的に街おこし、人おこしにつながった。

①伐採された竹と地域から出る生ゴミを混ぜ合わせ肥料へ変化。肥料はまた地域の田畑へ回帰。

②伐採された竹を業者が買取、県内各地の門松に変化。

③伐採した竹の笹部分を使い、美山地域あらゆる部分に竹垣製作。

④伐採した竹、木々を窯で焼き「竹炭」「木炭」「竹塩」などを商品化。

他にも使われなくなった田んぼに、苗を植えお米をつくったり、壊れそうな家屋を自分達で改修してみたり。昔から日本人がやってきた事をやる事が街を再び蘇らせ、人をつくるのではないか。

多くの観光地は巨額のお金を使用し、自分達のフィールドに合わない観光戦略を打ち出した挙句、環境を破壊し、それ観光だ、外国人誘致だと推し進めている。私自身は街おこしとはそうことでは無く、そこに住む街の人が課題を出し合い、自分達が必要と思う事柄を自分達が背丈にあった事を解決していく。それこそが街おこしであって人おこしに繋がると信じている。

終わりに、結局私自身は今でも山に入り自然と共に共存し、休日が出来れば海へ行き山に籠り焚火を楽しんでいる。iBSウィルスに少なからず感染しているんだと日々感じております。  

iBS被害者の会賛同者一員として。

Hayato “Eagle” Akatsuka:30期卒

1986年生まれ。カリフォルニアから帰国後、日本中を旅。旅を終えると20代を街づくりに奮闘。その後、パートナーとDaring Design(株)を設立。建築業と言う名の、なんでも業を本人は行っている。街づくり団体「美山未来つなぎ隊」に所属。2019年全国育樹祭理事長賞受賞。受賞会場で秋篠宮半径2mまで接近。SPと睨めっこする。 

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