iBS外語学院40周年記念実行委員会

「パイロットという、お仕事」- Eiji Hamakawa

インタビューに指定されたのは誰もいない羽田空港第2ターミナル。羽田空港を飛び立つ便は殆どがキャンセルされ、なんだか重苦しい雰囲気。そんな中で始まった今回のインタビュー。iBSのスッチー評論家(注1)を自認する編集部員が、コックピットの中にいる仕事人をインタビュー。

Words: 浜川 "Jon” 英治

小原:なんだか、こんな時期にインタビューって申し訳ないです。なんで、青い航空会社(注2)のターミナルなんですか。

浜川:いや、ここだと見晴らしもいいし。時間的にはいま余裕があるけど、この状況だとさすがにね……。飛行機、いっぱいだねえ……。

小原:本当に、飛ばない飛行機がこんなに多いって少しさみしいです。さっそくですけど、iBSを卒業してからはどちらへ留学されたんですか?

浜川:オーストラリアのブリスベンに行ったんです。ホスピタリティマネージメントを勉強するために。本当はCA(注3)になるつもりだったんです。

小原:え、CAって所謂、キャビンアテンダントに?

浜川:そう、高校生の頃にオーストラリアへ行く機会があって、カンタス航空に乗ったらCAの半分くらいが男性だった。それで、“あ、こういう仕事もあるんだ”って思ったわけ。だけど、日本では大学などで接客を専門的に学べるところが無かったのでオーストラリアへ。

小原:もともと、飛行機とか好きだったんですか?

浜川:小さいころから乗り物が好きだった。実は鉄っちゃん(注4)だったんですよ。だって、電車の運転手になるとか小学校の時には言ってましたから。だけど、小学校6年生の時に飛行機で東京に行ったんです。その時に、珍しく飛行機が沖留め(注5)だったんですね。飛行機ってボーディングブリッジから見るのと、ステップ使って下から見上げるのと迫力が全然違うわけですよ。しかも、ジャンボの747(注6)でしょ、機材が。

小原:それは、確かに違う。747って、やっぱり迫力があるもの、今でも。

浜川:そう、それで飛行機が好きになっちゃったわけです。電車の運転手になろうと思っていたくらいだから当たり前のようにパイロットには憧れました。でも、自分がパイロットなんて到底無理、と感覚的に思っていたので、目指すことすら考えませんでした。そうこうしていると、高校2年生の時に3週間ブリスベンに行ったんですよ、ショートステイで。そこで乗ったカンタス航空(注7)は半分ぐらいオトコのCAだった。その頃日本では男性CAなんてほとんどいなかったから、これは驚きで、外航(注8)ならCAを目指せるな、って。それでiBSを卒業して、オーストラリアへ渡ったんです。

注1:田中康夫の造語。スチュワーデスから。最近ではキャビンアテンダントと呼ばれることもあります。参考までに発案者は日本航空の客室乗務員とご結婚されました。

注2:全日空とよばれる純民間航空会社を自称する航空会社。近年ではA380という巨大な航空機を導入して青色吐息。

注3:CA=客室乗務員=スッチー。

注4:鉄道愛好者のこと。写真撮影が専門の撮り鉄、などという細分化も進んでいます。

注5:ターミナルに機体をつけずに、駐機場にて乗客を乗り降りさせること。機体が間近に見える反面、飛行機に全く興味のない人からするとタダの不便でしかありません。

注6:米ボーイング社が製造していた航空機。いわゆる、ジャンボ機と呼ばれるモデル。最近ではフレーター(貨物機)として重宝がられています。

注7:オーストラリアがベースの航空会社。カンガルーが機体に描かれ、世界中の飛行場で見ることができます。

注8:外国の航空会社の事を、空港関係者はこのように呼ぶことが多いようです。

パイロットには、どうなったらなれるのか?

浜川:学科の名前から分かるように、学問として接客を学ぶってところは、日本には無かった。海外で色々学びましたね。普通、パイロットはパイロットになるために事しか勉強しないけど、僕はCAのことも学んでました。(笑)

小原:つまり、ホスピタリティとは何であるか、と。温性(注9)ですね、いわゆる。

浜川:そうね、確かに。でもちゃんと2年間カレッジに行きました。その頃に、近くに小型機専用の空港があって体験操縦100ドルって書いてあったわけ。なんだ、100ドルで操縦できるならやってみよう!って乗ったんですよ。そしたら、やっぱり血が騒いだんでしょうね。CAじゃなくって、パイロットになろうと。22歳の時でした。セスナ152(注10)でしたね、初めてのフライトは。

小原:セスナ152!セスナって呼ばれるベーシックな単発機ですね。

浜川:調べてみると、頑張ればこの自分でも飛行機の免許は取れるかもしれないなって。パイロットを目指したいな、と思ったんです。カレッジを卒業した後、飛行機の免許を取る学校に入りなおしました。そこで2年かけて免許を取りました。日本の自動車免許と同じで、二種免許(注11)みたいな、飛行機を飛ばして働ける免許ですね。

小原:その学校を卒業されてからは、いきなりパイロットになったんですか?

浜川:そう、小型機のね。だけど本当に時期が悪くて、世界同時多発テロの後、しかもオーストラリアで2番目に大きかったアンセット航空(注12)が倒産した後だったんで、ホントに大変でした。オーストラリアではパイロットが余っちゃってたんです。オージーですら仕事がないのに、なんで外国人のお前に仕事をやらないといけないんだっていう。そこで、1年くらいかけて50以上の会社に履歴書を送ったり、直接持ち込んだりして。もう、田舎はもちろん僻地の中の僻地のようなところの会社までアプライしました。そこで、ようやくケアンズにある遊覧飛行をしている会社からOKが出たんです。だけど、向こうからすると新米のパイロットに与えるフライトの仕事なんて全然ない。だから、自分で営業して、お客さんを連れてくるからその分を俺に飛ばさせてくれと。パンフレット作って、営業から予約も受付して、当日はホテルまでお客さんを迎えに行って、飛行機に給油して、雑用まで。フライト以外の仕事の方が多かったけど、なんでもやってましたね。

小原:え、営業ってどんなことしてたんですか?

浜川:ケアンズは観光地でしょ、だから「日本人パイロットが案内する、グレートバリアリーフ遊覧飛行」とか言って旅行代理店に売り込んだんです。新米パイロットで重要なのは、とにもかくにも飛行時間。1時間でも多く乗りたかったんで、何でもやりました。だけど、飛行機だって小さいし色々と大変だったけど、とにかく必死でした。

小原:おお、いまやボーイング777(注13)のパイロットでも、そんな苦難があったとは……。

浜川:あとは、他にもいろいろな仕事をしましたよ。スカイダイビングとか、僻地への郵便配達、そして救難救助のパイロットもやりました。結局、3年間オーストラリアで働きました。

小原:だけど、生活はかなり大変だったんじゃないですか?アンセット航空が倒産して、航空業界が真っ暗だって時期ですよ。普通なら、ちょっと進路変更しそうですけど。

浜川:だけど、やっぱり諦めきれなかったんですよね。毎日のように、隣の滑走路では大型機が離発着しているのを見ているから。だから、何をしていても常に心のどこかでいつか大きな飛行機に、旅客機に、ってのはありましたよね。だから、飽きるということも全くなかったし。ただ、それと同時に背中合わせの不安も常に存在していたのは事実で。あそこで心が折れてしまってたら今の自分はないだろうね。

注9:知性・感性・温性の3要素は、サーヴィスの基本です。

注10:セスナ社が1976年にリリースした軽飛行機。1980年代半ばまで6628機を製造。

注11:日本でもタクシー運転手やトラック運転手が緑ナンバーの車両を運転する場合に必要な免許。飛行機の世界でも階層的搾取構造は健在のようです。

注12:2001年に経営破綻をしたオーストラリアの航空会社。スターアライアンスに加盟し、全日空とコードシェアを展開。アンセットは創業者の名前から。

注13:ボーイング社が製造する航空機。ワイドボディの双発ジェット機として使用されています。1機のお値段は約350億円。

ジェット機を動かしてみる

小原:諦めより、飽きる事に不安があったわけですね。8年間オーストラリアで過ごして日本へ帰国されていますね?

浜川:そうそう、日本でLCC(注14)の先駆けのような新規航空会社でも需要が高まってきていたので、キャリア(注15)で仕事するには日本の方がチャンスが大きいと思ったんです。基本、飛行機の免許って各国で相互条約があるんですけど、日本の場合はまた1年半かけて学び直さないといけない。なので、帰国後はまた日本で訓練所に通って取り直したんです、免許。

小原:え、その1年半って無給ですよね。心配とか無かったんですか?

浜川:もう、オーストラリアで充分に慣れてたからね。大変だろうとは思ったし、もちろん就職の確約なんてない。心配、不安だらけだったけど、ただ、目指すところに向かう一心で。ある意味、大きな賭けでしたよね。だって、無事訓練を終えて免許を取得できるのかも分からない、さらに卒業してから就職できるっていう保証もどこにも無いわけだし。費用だって、相当かかったしね。だけど、自分はどこまで行けるんだろうっていう事に挑戦してみたかった。

小原:結局、日本でまた学校を卒業されて晴れて日本でも飛べる準備が整ったわけですけど……。

浜川:運良く、赤い航空会社(注16)の大阪の子会社に就職できました。オバラさん的に言うところの。そこで、ボーイング737を運航する事になりました。

小原:正直なところ、初めて実機を動かした時ってどういうものですか?

浜川:あのね、ちょっと聞いてる方からするとガッカリするかもしれないけれど、フライトシミュレーター(注17)と全く同じ動きをするの(笑)。最初に感動するのは、「フライトシミュレーターってよくできてるなあ」って。免許を持っているからっていってどの機種でも操縦できるわけではないんです。僕の場合、737を操縦するまで1年ぐらい会社でみっちり訓練があるんです。で、実機に乗った感想がこれだからね。そりゃもちろん心から嬉しかったけどね、でも楽しむ余裕というよりは緊張で。気合も入ってたし。

小原:ガッカリだなあ、それ(爆笑)。あと、最初のフライトはどこだったんですか?

浜川:もちろん、伊丹=鹿児島(注18)ですよ。これは、当時の上司にお願いして実現しました。

小原:やっぱり、感慨深いものがありますか?

浜川:だって、学生時代は数え切れないほど鹿児島空港の滑走路の端っこには行ってましたからね、飛行機を見に。そこに自分で着陸するんだから。感動しますよ、ほんと。

注14:LOW COST CARRIER コスト優先ながらも、時として真っ当な航空会社もあります。

注15:一般的な航空会社の事を指します。

注16:日本航空と呼ばれる航空会社。アメーバ経営の教祖が一時期、経営を立て直していました。

注17:飛行機の訓練用のものは、パソコンで動くものとは大きく違い高価。参考までに運用コストは1時間10万円。

注18:日本の航空路線の中でもドル箱と呼ばれる路線。収益性の高さが航空会社には魅力のようです。

パイロットに最も必要なこと

小原:いい話だな、実に。ところで、最近「アサーション」(注19)って言葉がありますね。多分、航空業界からきている用語だと思うんですけど、赤い航空会社でも使います?

浜川:もちろん、よく使いますよ。昔のパイロットって職人気質だったんですよ、だけど最近最も重要視されているのはコミュニケーション能力なんです。意外かもしれないですけど、パイロットって会社にデスクもないんですよ。残業もないし、あるのはロッカーぐらい。コックピットのパートナーも初対面なんて当たり前だし、国際線だと機内に乗り込む15人ぐらいのCAだってほとんど初対面、一期一会。

小原:記憶力がないと、お気に入りのCA(注20)だって覚えないですよね。

浜川:本題はそこじゃない(笑)。つまり、本当に各自が「はじめまして」で飛行機って運航されるんですよ。各チームが本当に訓練しつくして、お客様へ運航というサービスが提供できるんです。だけどその原点はやはりコミュニケーション能力です。いくら優秀で能力が高くても、コミュニケーション能力に難がある人はエアラインパイロットにはなれない。聞く方も、伝える方も意思の疎通がしっかりしていないと、ミスや大きな事故につながるわけ。

小原:そういう部分では、かなりシステマティックに運行管理されている、と。だけど、安全という面では航空業界はかなり安全バッファが大きいように思えます。

浜川:飛行機って、飛び立ったらかならず降りなきゃいけないでしょ。途中で止まれないし、こうやって考えている間もすごい速さで進んでいる。そして必ず着陸しないといけないんですよ。グライダーじゃないから、予備の燃料もしっかり計算して搭載している訳です。例えば羽田から那覇に向かう時、那覇の天候が悪ければ羽田まで戻るとか他の空港に行くことも考えないといけないし、滑走路が常に空いている訳では無いかもしれない。天候が回復するまで上空を旋回しないといけないかもしれないし、それこそ大震災のようなことも起こらないとも限らない。でも、安全にどこかに何事もなかったかのように着陸しなければいけない。シビアですよね。

小原:パイロットって、常に的確な判断が求められると思うんですよ。そこはどうですか?

浜川:飛行機って離陸だけはオートマティックにできないんです。離陸時、もしエンジンが故障して、少しでも誤った操作をしてしまえば滑走路から飛び出たり失速して墜落するかもしれない。だけど、ちゃんと冷静に判断し、的確な操作をすれば飛行機は離陸できるんですよ、エンジン片方しか生きてなくても。その瞬時の的確な判断というのは常に求められますね。

小原:最後になりますが、個人的に好きな飛行機ってありますか?

浜川:そうですねえ、やっぱり乗客として乗るなら747かな。安定しているし、速いし。操縦するなら、737とか。サイズ的に小さい飛行機の方が操縦してるなーって感覚があるから。ところで、A380(注21)とかどうなの?乗ったことある?

小原:僕は、シンガポールの380には乗りました。あれ、ビジネスクラスのシートが本当におかしい設計になってる。クルーが来ないとフルフラットにならないんですよ。あと、変な縦揺れがいや。個人的には747−8なんか本当にいい。あれ、北京からフランクフルトに飛んでも全然疲れない。

浜川:ぜひ、機内ではおとなしくしてください(笑)。

注19:Assertion:適切な自己表現と解釈されがちながら、実は相互コミュニケーショントレーニングがメイン。どこぞの内閣にも必要なトレーニングかもしれません。

注20:こういう発言をする人は「招かれざる客」

注21:エアバス社が製造した不遇の大型機。日本では全日空が仕方なく購入したものの、リース料の支払いに泣いている(はず)。

Eiji “JON“ Hamakawa:22期卒

1977年生まれ iBS卒業後、オーストラリア、ブリスベンへ。

Hospitality Managementを学んだのちに、航空学へ路線変更し、飛行機の免許を取得。卒業後、グレートバリアリーフの遊覧飛行やスカイダイビングを行う会社にて小型飛行機で3年間経験を積む。日本でエアラインパイロットを目指すべく、8年間のオーストラリア生活に終止符を打ち、帰国後、日本の免許取得のために再訓練。

現在の会社に入社後は、数年間、国内、近距離国際線を担当し、現在は欧米、オーストラリア、東南アジアへのフライトをメインに担当している。

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